清河北斗展

会 期 :2023年8月23日(水)〜9月16日(土) ※水・木・金・土のみ開催
開場時間 :13:00〜19:00
会 場 :@btf 東京都中央区勝どき2-8-19 近富ビル倉庫3F 3B 地図
入場料 :無料

 

プロフィール

清河北斗     Kiyokawa Hokuto

1974年富山県生まれ。東京芸術専門学校(TSA)卒。
1998〜2008 (株)アレグロに勤務
2009年 STUDIO/HOT設立

生体フォルムのシリーズ制作を経て、
生命進化の過去から未来へのプロセスをテーマに制作を進める。

 

略歴

ジャパンエキスポ2011(パリ)
個展「仮様」2015 (下山芸術の森発電所美術館 富山)
舞台の上の美術館U「巨無と虚無」2017 (AUBADE HALL 富山)
アートフェア東京 2018

 

スペシャル トークライブ 
清河北斗×中村哲也×倉科昌高
9月2日(土)16:00〜 

アーティスト中村哲也氏、カスタムペインター倉科昌高氏、清河北斗氏を迎え
トークライブを開催いたします。
日時:9月2日(土)16:00〜
会 場 : @btf 会場内
参加費:無料 先着40名
※9月2日(土)はトークライブ申し込み参加者様のみの開場となります。
申し込みされていない方は入場できません。15:30開場。 17:30終了予定。

たくさんのご応募、ご来場いただきありがとうございました。


SCULP FICTION

彫刻作品とは、物質的にリアルに存在する物体ですが、そもそもは無かった物を人が産み出しているということから、実体がありながらも本来は架空のものであり、鑑賞してそこから受ける感覚も元は無かったもの、架空に産み出された実体によって架空な実感が産み出されている、というように考えてみると、私たちがいる社会にはこういった、人によって産み出された架空な存在や情報、仕組みや枠組みなど多くのフィクショナルなもので構成されており、互いに架空の影響で共鳴し、生命としては本来必要ではないフィクショナルな価値観(文化、社会、テクノロジー)の中で生きていると考えられます。
創造物と副産物の連鎖空間とでも言いましょうか、私たちにとっては、そんな世界こそ架空でありながらも今や現実であり、世界は巨大なフィクションで覆われ、私たちはフィクショナルな一生を現実として過ごしていると言っても過言ではありません。

そんな中から、また一つの物語が創出されます。。。

様々に進化した生物が生き残り、また更なる進化を遂げている現代ですが、過去には独自の進化を遂げて、しかしながら現在まで残れなかった種も数多くいました。
その中でも特に独特な進化を遂げた種がいました。
「格好良くなる」という進化をした種とのことです。

はて、「格好良くなる」進化とはどういうことでしょうか。
その時代に「格好が良い」という概念があったのかどうかは現在からは知りようがありません。
しかし、その生体のフォルム、形状を脈々とスタイリッシュに変化させ、驚くほど洗練された生体様式に進化した種がかつて存在していたというのです。
その目的、その環境の中での必要性は今日では計り知れず、現在からは想像の範疇でしかありません。しかし現在生存していないということは、何らかの事象が起きた時に柔軟に対応できず、残念ながら滅んでしまったと考えられます。
果たして、何のために悠久の時間をかけてそのように進化したのか。
一体どのような目的で、どのような「格好良く」なる進化を遂げたのでしょう。
そもそも「格好が良い」ということはどういう事なのでしょうか。

環境の中で何かしら重大な事象が起き、または慢性的な欲やストレスから、生物は種の存続のため、苦しみを伴いながら状況に適応するために機能の変化を迫られ無自覚に姿を変えていきます。その変化こそが生き抜くための変化、すなわち進化と考えられます。逆に、全て満たされた環境で何も変化する必要がないパラダイスな状況であれば、生物は進化する必要がありません。むしろ退化が進むかもしれません。満たされない欲や改善されないストレスの苦しみがあってこそ進化が始まると言えます。

「格好良くなる」ための進化とは、何のための進化だったのでしょうか。
単純に考えると、子孫を残すために異性にアピールする為ということもあるかもしれません。
もしそうであれば、それは同種同士の価値のやりとりであり、今日のそれと同様であると言えます。
しかし、もしその種以外の多数の種族から見ても、種として格好良いという観念があったとすれば、それは第三者からの価値判断とも言うことができ、すでに公共性、他者と共存する社会性があったとも言えます。

では、具体的に「格好良い形」とはどのような形なのでしょうか。
現代の一般的な「格好良い形」とされるものは、概念としてもなかなか一言で定義させることは出来ず、例えば、「洗練されている」「ムダが無い」「まとまっている」「スマート」、また逆に「複雑で重厚感がある」「多機能の集合体であり目的が定まっている」など、様々で多様な価値観が存在し、一言で言い表せるものではありません。
さらには、格好が良いとされる基準線がもしあるとすれば、その時代背景にどのような文化であったか、どのような生活様式であったか等で大きく変動するので、太古から現在の中でも格好良さとは決して恒久的なものではなく、時代や環境で細分化され多岐にわたる価値観であると言えます。
しかし、生物学上で「格好良い」という進化を遂げた種は、どう格好良かったのでしょうか。
他の種から見ても格好良い姿、フォルム、そして生き方。。。生き方となると精神性にも影響が見られていたのでしょうか。いえいえ、もちろん当時の生物にそんな概念はなかったでしょう。
しかし、いや、もし、その種にそんな片鱗があったとしたら。。

現在までに発掘された資料からおおよそ推測できるものにはいくつかのパターンがあると考えられます。
まずは、その機能を遂行させるために体のフォルムを変えて進化した容姿。現代で言えば「洗練された」「無駄を省いた」ということにも繋がりますが、ある目的を果たす為、効率よく機能する最適な姿に形状を変えたこと、その目的を最適に果たす為に適応した器官、また機能と運動性、その結果に行き着いた形ということになります。

今回は、そういった既に絶滅してしまったとされる、「格好良く」進化した種に注目して遡っていきたいと思います。

続きはまた次回の報告にて。

(この物語はフィクションです)

 

 

 
 
 

 

9月2日 清河北斗×中村哲也×倉科昌高 スペシャル トークライブ 

前編 後編

 

【今後の展示予定】 
次回の展示はカミロボ作者 安居智博氏

 

 

安居智博作品展 「イチカーバチカー One or Eight」
会期:2023年10月4日(水)〜10月28日(土)予定