清河北斗展
スペシャル トークライブ
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アーティスト中村哲也氏、カスタムペインター倉科昌高氏、清河北斗氏を迎え たくさんのご応募、ご来場いただきありがとうございました。 |
SCULP FICTION 彫刻作品とは、物質的にリアルに存在する物体ですが、そもそもは無かった物を人が産み出しているということから、実体がありながらも本来は架空のものであり、鑑賞してそこから受ける感覚も元は無かったもの、架空に産み出された実体によって架空な実感が産み出されている、というように考えてみると、私たちがいる社会にはこういった、人によって産み出された架空な存在や情報、仕組みや枠組みなど多くのフィクショナルなもので構成されており、互いに架空の影響で共鳴し、生命としては本来必要ではないフィクショナルな価値観(文化、社会、テクノロジー)の中で生きていると考えられます。 そんな中から、また一つの物語が創出されます。。。 様々に進化した生物が生き残り、また更なる進化を遂げている現代ですが、過去には独自の進化を遂げて、しかしながら現在まで残れなかった種も数多くいました。 はて、「格好良くなる」進化とはどういうことでしょうか。 環境の中で何かしら重大な事象が起き、または慢性的な欲やストレスから、生物は種の存続のため、苦しみを伴いながら状況に適応するために機能の変化を迫られ無自覚に姿を変えていきます。その変化こそが生き抜くための変化、すなわち進化と考えられます。逆に、全て満たされた環境で何も変化する必要がないパラダイスな状況であれば、生物は進化する必要がありません。むしろ退化が進むかもしれません。満たされない欲や改善されないストレスの苦しみがあってこそ進化が始まると言えます。 「格好良くなる」ための進化とは、何のための進化だったのでしょうか。 では、具体的に「格好良い形」とはどのような形なのでしょうか。 現在までに発掘された資料からおおよそ推測できるものにはいくつかのパターンがあると考えられます。 今回は、そういった既に絶滅してしまったとされる、「格好良く」進化した種に注目して遡っていきたいと思います。 続きはまた次回の報告にて。 (この物語はフィクションです) |
9月2日 清河北斗×中村哲也×倉科昌高 スペシャル トークライブ |
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前編 | 後編 |
【今後の展示予定】
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安居智博作品展 「イチカーバチカー One or Eight」 |