第3回 美術同人誌 『四月と十月』創刊25周年記念展 バタフライ・ストローク篇
美術同人誌『四月と十月』のこと 画家とは、いったいどういう人のことをいうのであろうか。これから画家としてやっていこうとした二十代なかば、僕は考えていました。そうしたあるとき、ふと、絵を描き続けて、自ら画家と名乗る人が画家なのではないかと思いいたりました。そして東京郊外のボロ家をアトリエにしてどこにも属さず、ひとりアトリエで絵を描く生活をはじめたのですが、そのうちに絵について話せる仲間がいないことを、だんだん淋しく思うようになりました。ときどき制作中の絵を見せあって話をする相手が欲しい。この美術同人誌を作るきっかけは、そんな思いからでした。 はじまりは、一九九九年の秋、身近にいた仲間たち六人と絵と文章だけをのせたわずか三十二頁のオンデマンド印刷のうすい冊子です。目的は日々の創作についての率直な意見交換、創作活動の励まし合い、そして交遊。書名は毎年二回、新学期のはじまる四月と、展覧会シーズンの十月に刊行することから『四月と十月』としました。原稿の締め切りを忘れないようにという意図もありました。印刷代は仲間たちと割り勘で出し合い、三百部刷って五十冊ずつ分け、それぞれが知り合いに渡したり、画廊で無料配布してもらったりしましたが、一応、一部五百円の値段も付けてありました。 本ができあがると、集まって作品の批評や冊子の活用について話したり、いっしょに遊んだりしていましたが、そのうち販売してはどうかという意見が出て、家の近所の書店にも置いてもらいました。が、一年に一冊売れたきり。他の書店では門前払いのくり返し。それで、四号目からは奮起して、少し本らしくしようと、巻末に展覧会情報や紀行文、取材文などを掲載するようになっていきました。やがて同人数もすこしずつふえ、十号目を出すときには十四人になります。集っての宴会なども愉しくなり、仲間たちと全国の古墳を訪ねて旅をする部活動なども発足し、少しずつ誌面を工夫をしたりしながら続けているうちに、いつのまにか二十五年がたちました。 現在、同人は三十三人。画風もキャリアもバラバラの小学校のような集まりです。年齢は上から下まで六十歳ほどのひらきがあります。創刊当初とかわらず割り勘の会費と、わずかな本の売り上げ、スタッフの厚意に支えられて運営しています。私たちの小さな活動のために本展を企画してくださいましたバタフライ・ストローク・株式會社の青木克憲さんに心より感謝いたします。 |
『四月と十月』発行管理人 牧野伊三夫 |
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